短編 刑事・ミステリー小説

ちょっとしたミステリーや人間の心理を観察することが好きな方は是非一度ご覧を

「裏切り」 第一章 奪われた母の命…平穏な家庭を壊した「モノ」とは? 

「裏切り」*1

第一章

 都内に所在している割には似つかわしくない、何処か殺風景な趣を隠せない古風な民家があった。その家には現在、片倉昌代と言う女性とその娘二人、息子一人と家族四人で慎ましく暮らしていた。

 この一家の評判は近隣住民の間でも有名であり、特に長女である梢の人柄の良さは際立っていた。年齢は二十九と、既に所帯を持っていたとしても不思議ではないのだが、体が余り丈夫でない母親の昌代の代わりに片倉家の生計をほぼ一人で立てていたのである。長男の慎太郎は高校を卒業してからというものの専ら就職活動中であり、社会に進出して姉の梢や母親を少しでも楽にさせる事を旨としていた。次女の詩織は短大生であり、アルバイトをしながら姉のやりくりを微力ながら支えていた。昌代も子供達にばかり迷惑をかけるのは忍びないと思い、収入は少ないが内職をいつしか始めていた。家族全員が苦労はしていたものの、仲睦まじく暮らしていた四人は周りの人間から羨まれるほどであった。

 しかしながら、そんな片倉家の平穏はある出来事を介して一変した。自宅で母親の昌代の遺体が発見されたのである。警察が駆け付けた時、第一発見者の長女である梢は魂が抜け落ちたような状態で事切れた母親を見つめていた。その横では詩織が唇を噛みしめていた慎太郎の肩で、幼児のように叫びそして泣いていた。

 現場の状況を見渡していた警視庁警部の沢渡桜子は、辺りの物が無造作に遺体の上にまで散らばっていた事と部屋に泥まみれの足跡がある事から物取りの線が高いと踏み、盗まれた物がないかをまだ半落ち状態である梢に尋ねていた。その間に彼女の部下である津上翔一は、好き勝手に部屋を観て回っていたのである。

「どうしてこんなにも泥だらけの足跡が残っているのでしょうか?」

 一通り観察を終えた翔一がまだ梢と話している桜子に不躾に問いかけて来た。

「彼女の死亡推定時刻の一五時から一六時に、少しの間だけど激しい夕立があったそうよ。ほら、裏庭にもくっきりと足跡が残っていたわよ」

 裏庭に回った翔一は正門から縁側まで綺麗に残った往復している足跡を見た。大きさからして男性の靴跡だと思われた。

「縁側から犯人は侵入して、昌代さんのいる部屋へ向かい帰りもここから出て行ったということか…」

「何か腑に落ちない点でも?」

 急に後ろに現れた上司にも微動だにせず、「いえ、別に…」とだけ神妙な顔をして答える部下に桜子は鼻息をついた。

「犯人はここから侵入して、物色している最中に被害者に顔を見られて殺害し、またここから逃げたって所かしらね」

 桜子は窓の鍵周囲のガラスだけ割られている現場をまじまじと見ながら、部下と同じような発言を得意気にしていた。

「ところで盗まれた物や凶器は何だったんですか?」

 翔一がしたり顔の桜子に尋ねる。

「梢さんによると、いくらかの現金と通帳や印鑑を持って行かれたそうよ。凶器はまだ見つかっていないけど、首を絞められた跡がくっきり残っていたからおそらく絞殺による窒息が死因ね。となると、凶器は索状痕の大きさからして幅が三、四㎝程度のヒモ状の物だと思うわ」

 翔一がまたも難しい顔つきになる。

「どうしたの?」

「やはり、少しおかしいと思います」

 それを聞いた桜子の顔も険しくなる。

「一体何が?」

「凶器が見つかっていないと言うのなら、それは犯人が持ち去ったという可能性が高い。しかし、見ず知らずの者による衝動的な殺人でそれをするメリットがあるでしょうか?」

「自分の痕跡が残るようなものを凶器にしたんじゃないの?」

「では、首を絞めた後でその凶器を回収し犯人はどうしたと思いますか?」

「当然、急いで逃げたでしょうね」

「いいえ、犯人は被害者を殺した後で金品を盗んでいます」

「何でそんなことが分かるの? 物色した後で殺したかもしれないじゃない」

 自分に意見する部下の反抗的なこの態度は桜子に火を点けていた。

「それなら遺体の上に物が散らばっていた説明が付きません。殺人を犯した者はすぐに現場を立ち去りたいと思うのが普通です。ですが、この犯人は凶器をわざわざ回収してその後で部屋を荒らしながら通帳やら印鑑を盗んでいます」

 若干圧倒されつつも、桜子は負けじと退きたくはなかった。

「よほど冷静で手だれた強盗だったのかもしれないわね…」

「それにしては、物色の仕方が下手くそで物が散乱しすぎです。あれは素人による犯行の可能性が高いと思います」

 桜子はこの生意気な部下の意図が今一つ分からなかった。

「あんたは一体何が言いたいわけなのよ?」

「これはただの強盗殺人ではない可能性があると言うことです」

続く

*1:この小説の登場人物は昔好きだった仮面ライダーに出てくるキャラと同名となっておりますゆえ悪しからず

「贖罪の過去」 終章 被害者と加害者を結ぶ奇妙な接点?

「贖罪の過去」

終章

「そうですか、それで主人は…」

 翔一と桜子は絵李菜の住居に訪れていた。岩城が離婚を申し出た動機を伝えるためである。

「御主人は自分のミスで香苗さんの遺族からあなたにも怒りの矛先が向けられる事を恐れていました。そのためあなたに被害が及ばないよう、別れることを決意せざるを得なかったんです」

 絵李菜は夫の真意を知ると、窓の前に立ち外を見据えていた。

「水臭い人…。どうして私に何も教えてくれなかったのよ…」

 翔一と桜子は絵李菜に伝えるべき事を伝えるとすぐに別れを告げた。帰り際に桜子が独り言のようにまたもか細い声で翔一に問いかける。

「香苗さんに容疑が向けられた事件に目を付けた理由は父親の名前にあったのね…」

「ええ、香苗さんのプロファイリングに書かれていた親族の中に管理人さんの名前、『大木聡史』とありましたから。しかし、気になったのは奥さんから聞いたところによると結婚当時は彼は自分の姓を捨て、『和泉』を名乗っていたそうなんです」

 桜子が瞬時に反応する。

「岩城君と同じ婿養子だったってこと?」

「もしかしたらそれが最大の理由だったのかもしれませんね」

 部下の不可解な発言に桜子は首を傾げる。

「管理人さんも昔に岩城さんと同じような境遇であったのかもしれません。岩城さんは彼と何処か通ずるところがあったのかもしれない、そのため自分に殺意を抱いている事もいち早く感知出来たのかも…しれませんね」

 全く根拠のない言い分だと思っていたが、その時の桜子はわずかに影を落とした表情の部下を見て、頭から否定することは出来なかったのである。

*1

*1:面白かったという人は是非、読者になってコメントしてください。今後の励みになります!

「贖罪の過去」 第六章 犯人なあなたです...事件の裏に隠れた涙の真相

「贖罪の過去」

第六章

 翌日、翔一は一人で畠山家に再び訪れた。迎えてくれたのは今度は千夏であった。

「今日はどう言った御用でしょうか?」

「実は岩城さんを殺害した犯人が分かったのでそれをお伝えしに参りました」

 千夏は一瞬動揺したような素振りを見せたが、それを悟られまいと翔一を中に入れた。

「犯人が誰なのかをお伝えする前に一つあなたに確認しておきたい事があります」

「何でしょうか…?」

 リビングに着いたと同時に翔一は早速千夏を揺さ振る様な言葉を発した。

「あなたは岩城さんと同窓会で本当に会話をしなかったのですね?」

「はい…」

 千夏の声が俄かに暗くなる。

「彼を見たのは小学生の時以来、間違いありませんね?」

「そうです…。何をおっしゃりたいんですか…?」

 翔一は千夏の目を確と見つめ直し話を続ける。

「では、あなたは何故カウンター席に座っていたのが岩城さんだと分かったのでしょうか? 親しい間柄でもなかったのなら、この十年以上の歳月で顔も変わっていた筈ですし、彼だと見分けるのは容易ではないと思うのですが」

 それを聞いた千夏は翔一に初めて険しい口調で反論した。

「そんなの雰囲気で分かっただけですよ! 顔は変わっていても彼の面影は昔と…」

 千夏は我に返ったように急に口を噤んだ。

「昔…ですか?」

 俯いた千夏を見て、翔一は一息を吐く。

「すいません、千夏さん。僕はもうあなたと岩城さんの関係を分かっているんです。どうか正直に話して頂けませんか?」

 千夏はこの刑事からもう逃げられないと悟り、ソファーに腰かけ真実を語り始めた。

「刑事さんの察する通り、私は彼と同窓会の日に話をしました。お開きになった後、彼から私に話しかけて来たんです」

「あなたと岩城さんにとっては小学生以来の再会以上に、幼少の頃に両親が分かれて以来の再会だったんですね?」

 千夏は小さく頷き話を続けた。

「まだ小さい頃に母が私を連れて、暴力の酷かった父の下を去ったんです。兄を残して…。それから私が兄に再会したのは小学六年生で彼と同じクラスになった時でした」

「そこであなたは彼を含む男子生徒にいじめを受けたんですね?」

「はい…。私が旧姓に戻った事と物心がつく前に親が離婚したせいか、彼は私が誰だか気付いていませんでした。しかし、私は彼を見た瞬間兄だと分かりました。その事を母に話したら、私に兄を置いて父の下から逃げて来たと言う事を教えてくれたんです…」

「岩城さん…お兄さんを恨みはしなかったと言う話は本当だったんですね」

「兄が当時にどれ程辛い思いをしていたか想像すれば、私に対するいじめなど何も感じませんでした…!」

 千夏の声には力が籠っていたにも関わらず、同時に大きく震えていた。

「あなたは自分が妹だとは名乗らなかったのですか?」

 千夏が翔一の尤もな質問に顔を向ける。

「勿論、言おうとは思いました。ですが、母にそれは固く禁じられたんです。当時に父と暮らしていた兄に自分が妹だと名乗れば、父に居場所を突き止められるかもしれないと母はこの上なく恐れていたからです…」

「しかし、卒業してから岩城さんは何らかの経緯であなたが妹だと知った」

 千夏は話を同窓会時に戻す。

「兄が話しかけて来た時、私も正直に言うと怖かったんです。自分を捨てた身内に復讐心を抱いているんじゃないかって…。ですが、私を咎めるどころか、小さないじめをしたことに対して、開口一番に謝ってくれたんです。その時、涙を流さずにはいられませんでした…」

「それでどんな話を?」

「言葉が見つからず大した話はしませんでした。兄は自分が今住んでいるアパートの住所を私に教えてくれたくらいです…」

 翔一はこの言葉を聞いて、今回の事件の流れを完全に理解した。

「その住所をお母さんにも教えたのではありませんか?」

千夏は再度口を噤んだが、おもむろに切り出した。

「はい…。翌日の夜中に母は兄に会いに行きました。会って一度謝りたいと言っていましたので…」

「しかし、その翌朝に岩城さんは遺体となって発見されました。お母さんは帰って来た時に、あなたに彼に会いに行っていた事は黙っていてくれとお願いしたのではありませんか?」

 翔一のその台詞を聞き、千夏は必死になって訴える。

「でも、待って下さい! 母が兄を殺しただなんて私にはどうしても信じられないんです! きっと何かの間違いで…」

「お母さん、そこに居るなら出てきて頂けないでしょうか?」

 千夏が振り向いた先に、リビングの扉を開けて千夏の母親が顔を覗かせた。

「話は全て聞いていましたね?」

「刑事さん、どうして私があの子の母親だと分かったんですか…?」

「それに気付いたのは僕ではなく、僕の上司です」

 暫くすると桜子もリビングの扉を開けて入ってきた。横には年配のアパートの管理人もいる。

「管理人さん、あなたが見たと言うのはこの方でしょうか?」

「ええ、思い出しました。この女の人です」

 千夏の母親は桜子の方に向き、先刻の疑問を改めて質問した。                                 

「どうして私があの子の母親だと…?」

 桜子は千夏に視線を向け千夏の母親の質問に答えてみせた。

「千夏さんと岩城君は二卵性の双子ですので、二人の顔は余り似ていません。しかし、あなたの顔は何処か岩城君の面影が残っていました。それが気になって、私はあなた方の事を調べてみたんです」

「あなたは俊と友達だったの…?」

「ええ、中学生の時からのね」

 翔一は二人の会話に割って入り話を戻した。

「お母さん、あなたが岩城さんに会いに行った事を隠して置きたかったのは、千夏さんが先程おっしゃった理由と同じですね?」

 千夏はきょとんとした表情になり、母親の話を黙って聞いていた。

「そうです…。もしかしたら警察が私の所にも来るかもしれない、それで本当の事を言えば私は容疑者になり新聞沙汰にもなり兼ねないと思いました。夫だったあの人にこちらの事情を伝える様な真似だけはどうしても避けたかったんです…」

 翔一と桜子はこの母親が元伴侶にどれだけ酷い仕打ちを被っていたのか容易に想像が付いた。

「じゃあ、母は兄を殺してなんかいないんですか?」

 質問には桜子が答えた。

「ええ、お母さんが着いた時にはもう既に彼は亡くなっていたのよ」

 千夏は涙ぐみながらそのあどけない顔を母親に向ける。

「どうして本当の事を言ってくれなかったの? てっきり私は…」

 千夏の母親は娘の涙目に顔を背ける。

「ごめんなさい千夏…。忌まわしい父親の事をあなたに無理に蒸し返したくはなかったの…」

 そう言うと、娘を抱きしめながら親子共々すすり泣いた。

「でも待って…。それじゃあ、兄は一体誰に…?」

 すすり泣きを止めた千夏は翔一に事件の真意を尋ねる。

「岩城さんを殺害したのは、あなたですね?」

 その視線が向けられた先は管理人であった。

「急に何を言うのですか!」

 千夏達は目を見開き管理人の方に振り向く。

「あなたは千夏さんのお母さんが偶然、殺害現場に訪れたのを良い事に容疑を彼女に向けさせるため僕達に目撃情報を教えたんです」

 管理人は翔一に猛反発し、自分が無実だと徹底的に訴える。

「その方が間違いなく殺したに決まっている! 逃げるように駐車場から去って行くところを私はしっかりと見たんだ!」

 翔一は冷静に対抗してみせる。

「死んだ人を見れば誰だってそのような動きをします。岩城さんの背中に残っていた刺し跡は左利きによる者の犯行でした。管理人さん、あなたと同じね」

 顔を強張らせた管理人は千夏の母親を指した腕をさっと下げた。

「そんな理由だけで犯人呼ばわりですか? 私は事件解決のために協力して欲しいと、こちらの刑事さんに頼まれて来たと言うのにこんな扱いは酷すぎますよ!」

 管理人がリビングの扉を開けて出て行こうとした矢先、翔一がその背中にはっきりと言い放つ。

「既に現場近くの川から凶器と思われるナイフが発見されています。わずかでしたが指紋も残っていたので、白を切り通すのは時間の問題ですよ」

 管理人が足を止めた様子を見ると、すかさず翔一は事件の裏に隠れた真相を改めて確認する。

「岩城さんを殺害した動機はやはり娘さんの復讐ですね?」

 間もなく小さく頷いた管理人を黙視すると、翔一は話を続ける。

「彼はあなたが奥さんと別れた後、謝罪に来たんです。謝ろうにも奥さんでさえ連絡先が分からなかったあなたには、その言葉を伝える事が出来なかったんです」

 ここで管理人は鬼のような形相で顔を上げ、翔一に吐き捨てるように怒号をあげた。

「謝れば全てが許されると思っているのか! あいつのいい加減な根拠もない言い分で、娘の香苗は犯罪者扱いをされ死んだんだぞ!」 

 破竹の勢いで胸の内を打ち明けた管理人に千夏達は怯えていたが、翔一は負けじとあくまで立ち向う姿勢を崩さなかった。

「あなたは良枝さんと別れた後に自分で娘さんが無実だったと言う事を証明しようとしたんですね?」

「そうだ! 香苗が死んで一年程経った時に私は検察庁に行ってみた! 娘は無実だったと職員に訴えたら、急に顔色が変わった! 根強く問い質したら口を割って、つい最近に真犯人が自首しに来たと聞かされたんだ!」

 翔一と桜子はその事実が検察庁内の一部の人間の間で交わされた暗黙の了解であったと改めて確信した。

「犯人は許せなかったが、あの検事も殺してやりたい程に許せなかった! だが、あいつの居場所も分からなかったしその熱も次第に冷めていった。私は管理職に就いて落ち着きを取り戻していったんだ…あの男がまた現れるまでは!」

 管理人の声はますますヒートアップしていった。

「香苗が死んで二年…たったの二年だ! あいつが引越しの挨拶に来た時、事も有ろうに私に全く気付いていない様子だった! もう娘の事も綺麗に忘れたに違いない、そう思った私は再び殺害しようと決心したんだ!」

 翔一と桜子は沈黙を続けていた。

「あいつが心から悔やんでいたのなら、私の顔を忘れる訳なんてない! 良枝に謝りに来たことだって、どうせ体裁を繕うためだけにやった事だったんだ!」

「違うわ!」

 管理人の言葉を遮ったのは桜子の一言であった。

「岩城君はあなたの事を忘れてなんかいなかった! 彼は本当にあなたに心からお詫びをしたかったのよ!」

 桜子は懐から岩城の部屋から発見された冊子を取り出し、管理人に突きつけた。だが、頁をめくりそれに目を通した管理人にはさらに火を付けたのである。

「こんなものが何だと言うんだ! それなら何故すぐに頭を下げに来なかったんだ!」

 その問いには、翔一が上司の一歩前に出て代わりに答えた。

「それはあなたに殺されるためですよ」

 管理人だけではなく、千夏達も耳を疑った。

「どう言う意味だ…? 殺されるためだと?」

「ええ。岩城さんがあなたと再会したのは偶然なんかではありません。あなたが管理人を務めている事を知っていて尚、あのアパートの部屋を借りたんです。アパートのオーナーに伺ったところ、岩城さんはあなたがそこの管理人を務めているかどうか何度も確認していたとおっしゃっていました」

 管理人はまだ翔一の言葉を信じることが出来なかった。

「う…嘘を吐くな! そうだとしても、私が殺そうとしていた事をあいつが知っていたわけ…」

「確かにそうです。しかし、岩城さんは再会した時にあなたと同じく自分の事を覚えていると確信していたのではないでしょうか? 自分に殺意を抱いているかどうかまでは分からなくとも、岩城さんはいつでも死を受け入れる覚悟でいた。あなたが実行しやすいよう環境も常に、暗に整えていたのではないでしょうか?」

 管理人は何かを思案しているかのように再び俯いた。

「思い当たる節はありそうですね。彼は日を追うごとに、次第にあなたに対する謝罪の気持ちではなく、贖罪の念に変わっていったんです。自分の失態で香苗さんを亡くした事に対してあなたと同様に苦しんだ。奥さんの所へ一人で真実を伝えに足を運んだことも、冊子に罪の意識の言葉を無数に書き記したことも全て、彼の償い切れない程の気持ちの表れだったんです」

 管理人は膝を突き子供のように泣きじゃくった。その様子を見ていた千夏も母親の懐ですすり泣くことしか出来なかった。

続く

「贖罪の過去」 第五章 事件の真相を追え!両者の行き着く被害者の許されない過去

「贖罪の過去」

第五章

 警視庁に戻って来た翔一と桜子は例によってコーヒーを啜っていた。一口飲んでカップを置いた桜子は翔一に先刻の疑問をぶつける。

「どうしてあの殺人事件だけに絞ったの?」

 翔一もカップを置いたが桜子の声はどうやら届いていなかった。

「桜子さん、少し調べておきたい事があるんですが」

 自分の質問を無視された桜子は苛立ったが、ここでは事件解決のために一歩引き下がった。

「そう、わかったわ。実は私も一つ気になる事があるの。今から別行動を取ることにしましょう」

 そう言うと、一足先に桜子は部屋を出て行った。翔一は桜子が思う疑問が何か気になっていたが、今は自分が成すべき事を果たしに同じく警視庁を後にしたのであった。

 

翔一の目的地は和泉香苗の住居であった。先刻の職員の男の挙動から、岩城が扱った殺人事件には裏があると確信した翔一は、遺族に事件当時の様子を聞き出そうとしていたのである。

「香苗が死んで二年になりますかね…」

 現在、和泉家には母親の良枝しか住んでいなかった。娘である香苗が亡くなったその後、亭主との生活も円滑には進まず別れたと言う。

「蒸し返すような真似をして大変申し訳ないと思っております。どうか話しては頂けないでしょうか?」

 良枝は何も言わず当時の出来事をゆっくりと話し始めた。

「香苗は無実だと訴えていました。私も夫も娘が人を殺めたなんてどうしても信じられませんでした。しかし最終的には、検事の方の言い分が有力だと決定的な証拠もないのに判決は有罪となりました。そして刑務所暮らしになった香苗が亡くなったと聞いたのは、それから暫くしてからの事です…」

「それだけでしょうか…?」

一呼吸置いて良枝は話を続けた。

「娘が亡くなってから一年程経った時、あの検事の方がある事を伝えに家に来たんです。その内容を聞いた時、愕然としました」

「何を伝えに来たんですか?」

 予想はついていた翔一であったが、そう聞かずにはいられなかった。

「娘は無実だったと…。犯人が自首しに来たそうなんです。その供述からその人で間違いないと分かり、検事の方は土下座しながら謝罪してくれました…」

「あなたはそれでその検事の方を許しましたか?」

 良枝は一旦渋ったような表情になり下を向いたが、翔一の方に向き直ってその顔を見据えた。

「あの方は心から悔やんでいたと思います。謝罪一つ一つの言葉からその気持ちはよく伝わってきました」

 良枝は涙を流しながら当時の状況を思い返していた。翔一もこれ以上は良枝の心の傷をえぐる様な真似は出来なく、次の質問を最後にしようと心に決めていた。

「その検事の方が来たのはあなたが離婚した後ではありませんか?」

「ええ、そうですが…?」

その後、和泉家から帰路についていた翔一は何処か浮かない顔をしていた。そんな中、携帯電話が鳴った。桜子からである。

「翔一? 実はこっちで調べていた件だけど、驚くべき事実が発覚したわ…」

 それを聞いた翔一もさすがに耳を疑ったようだった。しかし、すかさずいつもの態度に直り桜子に囁く様に言った。

「それで最後の疑問が解けました」

続く

「贖罪の過去」 第四章 被害者の悲しき過去...妻との永遠の別れを意味するものは?

「贖罪の過去」

第四章

「岩城君が気に病んでいた原因が、千夏さんをいじめていたことにあったのなら今回の事件の真相も自然に見えて来るけど…」 

畠山千夏の自宅に暇を告げた翔一と桜子は、次に九宝絵李菜の住居へと向かっていた。しかし、岩城殺害の動機が小学校時代のいざこざから起きた可能性を拭い去れない桜子は、何処か浮かない顔をしていたのである。

「管理人さんが目撃した人ってやっぱり千夏さんじゃないのかしら? 殺害時刻のアリバイも彼女にはなかったし…」

 桜子の暗い物言いとは裏腹に翔一ははっきりとした口調で意見を述べた。

「彼女が岩城さんを殺害したのかは分かりませんが、あの様子から察するに何かを隠している事は間違いないでしょう。ですから、それも突き止めなければなりません」

そう言って歩を進める翔一は既に九宝絵李菜の住宅を視界に捉えていた。丁度扉を開けて女性が中から出てきたところを確認すると、翔一は上司を置いて小走りで彼女の下へと向かった。

「九宝絵李菜さんですか?」

「そうですが?」

 岩城が昨晩何者かに殺害された事を伝えると絵李菜は頬に一輪の涙を浮かべた。それから翔一と桜子を中へ招き入れてソファーに座らせると、自分の知っている岩城の事を伝えられるだけ二人に話し始めた。

「彼はとても良い人でした。彼との暮らしに私は何一つ不自由なく幸せな日々を過ごしていました」

「では何故、離婚をされたのでしょうか?」

 絵李菜は少し渋るような様子で口を開いた。

「私は別れたくありませんでした。しかし、彼が急に目の前に離婚届を差し出して私は否応なしに押印したんです。彼は『すまない』とその一言だけ言い残して私の前から姿を消しました」

「理由は聞かなかったのですか?」

「勿論問い詰めました。けど、彼は頑として口を開きませんでした。そんな状態が何日も続いて、私は離婚せざるを得なかったんです」

「では、あなたに離婚を持ちかける前に彼に何かありませんでしたか?」

 絵李菜は一年前の出来事を必死に思い返してようやく何かを思い出した。

「…確か、随分と落ち込んでいました。理由を聞いても何も教えてくれませんでしたが…。それから何日か経って離婚を迫られました」

「何か心当たりはありませんか?」

「さあ…けど仕事から帰って来た時にそのような状態でしたので、職場で何かあったのではないかと…」

 ここで急に桜子が立ち上がりリビングのウォールポケットに視線が釘付けになった。

「どうしたんですか、桜子さん?」

 桜子は翔一の問いには答えず絵李菜に質問をした。

「あそこの状差しにある手紙は御主人宛ての物ですよね?」

「ええ、それが何か?」

 桜子はウォールポケットの前まで行くと、手紙を一つ抜き取った。その封筒には『九宝俊様』と書かれていたのである。

「ああ、戸籍は彼が私の実家の方に入れたんです。彼は自分の姓を捨てたいと言っていましたので…」

「どう言う意味です?」

「彼の母親は彼がまだ幼い頃に娘さんだけを連れて家を出て行ったんです。父親の酒癖が酷くて母親への暴力が絶えなかったからだと言っていました。二人きりで暮らす事になった彼も酷い仕打ちを受けていたそうです。それでも彼は耐え抜いて、検察官になり私と結婚して惨めな境遇から抜け出せた事を心から喜んでいました」

 桜子は今まで忌憚なく呼んでいた友人の名字に俄かに抵抗を覚え始める。

「彼は『岩城』と言う名を恥じていたと…?」

 二人の会話を聞いていた翔一が話に乗り出す。

「それでは何故、あなたとの離婚を迫ったのでしょうか?」

「分からない! 妻だった私があの人の気持ちを理解出来なかった事が情けなくて仕様がないわ…」

 再び涙が零れ落ちた絵李菜を見て、居たたまれなくなった翔一と桜子は九宝家に別れを告げたのであった。

 

「一年程前に岩城さん、当時九宝さんが担当されていた事件ですか?」

 翔一と桜子はそのまま検察庁に赴き、当時に岩城が扱っていた事件の詳細を職員に聞き込みをしていた。

「ええ、調べて頂けないでしょうか?」

 職員の男の後に続き、翔一と桜子は捜査資料室へと足を踏み入れた。その職員は当時に起こった様々な事件の調書をめくってみたが、岩城が担当していた事件の中で該当するようなものは見当たらなかった。

「仕事は関係ないんじゃない?」

「ではそれよりも前に彼が担当していた事件はありますか?」

 その職員の男は岩城が担当した事件記録のファイルを全て翔一の前に呈示した。

「この全ての記録の中から岩城君の気に病んでいた理由と結び付く事件なんてどうやって見分けるのよ?」

 翔一は桜子の半ば投げ遣りの態度にお構いなしの様子でファイルに目を通していた。すると、間もない内に一つの事件に絞り始めて職員の男に問いかけたのである。

「この殺人事件で起訴された和泉香苗と言う女性はまだ刑務所に?」

 一瞬、職員の男の目が泳いだ光景を翔一は見逃さなかった。

「いや…その女性は獄中で亡くなりました…」

「亡くなった?」

心不全です。牢獄暮らしに耐えきれなかったのでしょうね…」

 その視線の捉えていた先に翔一はいなかった。

続く

「贖罪の過去」 第三章 殺害の動機は苛めにあり!? 新たなる容疑者浮上

「贖罪の過去」

第三章

「まさか…俊の奴が死んだって、一体どうして…?」

 開口一番にそう告げた警察官二人に西沢はさすがに動揺の色を隠せないでいた。落ち着くまでの時間を与えると、翔一は口火を切った。

「あなたは岩城さんと仲がよろしかったのでしょうか?」

「ええ、俺とあいつは幼稚園の頃からの付き合いですからずっと交流がありました」

 それを聞いた桜子は二人の会話に割って入る。

「じゃあもしかして、あなた彼と同じ中学校にも通っていたの?」

「そうですけど?」

 自分と同じ中学校に西沢も在学していた事が分かり桜子は驚いたが、すぐにその顔を隠して続けて質問をする。

「中学三年生の時は彼と同じクラスだった?」

「いえ、その年はクラス替えであいつと別れました。何でそんな事を聞くんですか?」

 自分のクラスに西沢がいなかった事を確認すると、そのまま桜子は話を進めた。

「いえ別に。ところで、一昨日に小学校の同窓会が行われたのよね?」

「ええ、卒業時のメンバーで『鳥七園』と言う居酒屋に集まりました。全員じゃありませんけど」

「岩城君も来たのよね?」

「来ましたよ。けど、そんなにあいつ乗り気じゃなかったんですけどね」

「どうして?」

「俺が無理矢理誘ったと言うか…、皆が騒いでいるのに一人だけ何故かずっとそわそわしていたし、様子もおかしかったんです」

「それについて何か心当たりとかはない?」

「特にないですね。…あ」

 西沢の口調が滞る。

「どうしたの?」

「もしかするとあいつ、あの事を気にしていたのかな…」

「あの事?」

 西沢は一旦桜子から顔を背けると何かを考えるように再び口を開いた。

「刑事さんにこう言うのもなんですが…実は六年生の時に俺とクラスの男子で一人の女子をその…少しだけいじめていたんです。その中に俊の奴も加わっていたんですよ」

「いじめですって!」

 声を荒げて憤怒した桜子を抑えて今度は翔一が西沢に向き直る。

「そのいじめの程度は酷かったのですか?」

 西沢は無実を訴えるかのような素振りで必死に弁明した。

「本当に大した事はしていないんです、信じて下さい! その証拠にその女子は普通に同窓会には来ていましたから」

「その人の名前は?」

「畠山千夏です。住所は分かっているので確認を取っても構いません」

「分かりました、それは後にしておきましょう。西沢さん、これを見て頂けますか?」

 翔一は先刻岩城の部屋で撮影した画像を西沢に見せた。

「ああ、絵李菜さんですね。俊の奥さんだった人です」

「だった?」

「一年程前に離婚したそうです。何故かは知りませんけどね」

 それを聞いて桜子は興奮から冷めた。

「だから私と会った時は何も言わなかったのか…」 

 翔一と桜子は畠山千夏と前妻である九宝絵李菜の住所を入手し、西沢の自宅を後にした。

 

 まずは西沢達がいじめていたと言う、今はもう成人となっている女性の家へと翔一と桜子は足を運んだ。到着するとすぐに呼び鈴を鳴らしたが、顔を見せたのは当人ではないと一目瞭然の婦人であった。

「畠山千夏さんはいらっしゃいますか?」

「千夏に何の御用でしょうか」

 翔一と桜子が警察手帳を見せると、その婦人は冷やかな態度で二人を中に入れて二階から千夏を呼んできたのであった。

「警察の方が私に何の御用でしょうか?」

 千夏のあどけなさが残った顔立ちは緊迫した二人の刑事の態度を和ませた。

「小学生時にあなたと同じクラスだった岩城さんが昨夜何者かに殺害されました」

「…岩城君が?」

 表情を変えない千夏を見て桜子が詰問するような姿勢を取った。

「余り驚かれないんですね」

「ええ…。彼とそれ程親しかった訳じゃなかったので…」

「不躾な質問ですが、あなたは小学生の時に彼を含む男子生徒からいじめを受けていたんじゃありませんか?」

 予想だにしていなかったせいか、その質問に若干動揺した千夏であったが、桜子の目を見てしっかりと答えた。

「彼がいたかどうかは思い出せませんが、確かにいじめられていました」

「では彼を恨んでいたと言うことはないんですね?」

「ええ、別に…」

 何処かうかない表情をした千夏を訝しく翔一は思っていたが、黙って桜子との会話を聞いていた。

「では質問を変えます。一昨日にあなたは小学校の卒業時メンバーとの同窓会に行かれましたね?」

「はい…」

「その時に岩城く…岩城さんと何か話をしたりとかは?」

「何も話していません。私はずっと女友達だけとおしゃべりをしていましたので…。彼がカウンター席の方でポツンと座っていたと言うことしか…」

 会話が一時途切れると、先刻の婦人が三人の前にお茶を持ってきてそのまま無言でその場を立ち去った。

「今のはお母さんですか?」

「すいません、母は他人との接触を極度に嫌うものですから御気に障ったのなら私から謝ります」

「いえ、そう言う訳では…」

 桜子の視線は何故か、部屋を出て行く千夏の母親に向けられていた。

 続く

「贖罪の過去」 第二章  捜査開始!被害者宅から発見された驚愕のものとは!?

「贖罪の過去」

第二章

桜子は新米刑事である津上翔一を引き連れて、一課の刑事と共に現場に急行した。そこで見たものは、昨日まで自分が話していた人物とは思えない血色の変わった旧友の無残な姿であった。捜査に私情を挟んではいけない事も誰よりも理解していたが、桜子は暫く呆然としていた。その様子を見ていた翔一は察したが、上司に活を入れるような大きな声で捜査情報を報告した。

「被害者の名前は岩城俊、検察官だと分かりました。第一発見者のアパートの管理人によると、今朝六時頃この駐車場に来てみたら俯せに倒れていたそうです。凶器らしき物は見当たりませんが、背中を鋭利な刃物によって刺された跡があったので刺殺と思われます」

 桜子は普段からは窺えないようなか細い声で部下に応答した。

「そう…。死亡推定時刻は…?」

「鑑識によると昨夜の九時頃だそうです。状況からして、通り魔の犯行でしょうかね」

 桜子の返答を期待していた翔一であったが、上の空である様子を見て核心を衝いた。

「やはりあの被害者は桜子さんのお知り合いですね?」

 ようやく反応して顔を向けた桜子は、先刻よりも覇気の籠った声で翔一の質問に答えてみせた。

「ええ、そうよ。昨日、中学生の時以来に偶然彼と出会ってお茶を飲んだばっかり。だから少しショックが大きかったの、ごめんなさいね。もう大丈夫だから」

 そうは言うものの、普段の上司はまだそこにはいなかった。それでも若干立ち直った好機を翔一は見逃さず、岩城について何とか聞き出そうとしていた。

「その時の岩城さんに変わった様子とかはありませんでした?」

 この質問には桜子は即答した。

「あったわ、岩城君は誰かに殺される事を分かっているような口振りだったもの」

「どう言う意味ですか?」

「何気ない会話の中で『俺は殺されても仕方のない人間だ』と確かにそう言ってた…」

「それについて他には?」

「何も聞かなかった、他人が介入すべき事でもないと思ったからね。けど今は心底、後悔している」

翔一と桜子はアパートの二階にある岩城の部屋へ訪れた。内装は家宅捜索を行うのに抵抗がある程、整理整頓が隅々まで行き渡っていた。それでも、事件解決の手掛かりがあるか否かを捜査するために致し方なかった。

「桜子さんこれ見て下さい」

 翔一が早速デスクに置いてあった写真立てに目を付け上司に報告する。

「岩城さんと一緒に写っているこの別嬪さんを御存知ですか?」

 写真立てを手に渡され桜子の美顔が渋ったようになる。

「心当たりはないわね。岩城君に恋人でもいたのかしら?」

 翔一は写真の女性を携帯電話で撮影して画像を保存すると、ひとまずその事は置いておき再び部屋の節々を探索してみた。暫くすると、掛けてあったコートの内ポケットから今度は桜子が何かを発見した。

「同窓会の招待状だわ。でも、小学校のようね」

 小学生の時はまだ岩城と出会う以前の事なので、当人がどのような人物かを桜子は把握していなかった。今回の事件に関連している可能性を直感すると、封筒から便箋を取り出してその内容に目を通した。

「同窓会は一昨日に行われたみたいね。場所は割と近くの居酒屋で、送り主は幹事を務める西沢雄貴」

「桜子さんこれを」

 急に現れた部下が上司の目の前に差し出した物は、何の変哲もない冊子であった。

「日記か何かかしら?」

「違います。中を読んで見て下さい…」

 翔一の強張った表情を窺った桜子は不審に思い、急いで頁をめくってみた。その内容を読まずとも、文字が目に入った瞬間全身に寒気が走ったのであった。一面に寸分の隙間なく、岩城の悲痛な叫びとも言える同じ言葉が無数に羅列していたのである。

「『俺は最低の男』…。彼に何があったと言うの…?」

「狂気の沙汰ですね。その頁だけでなく、最後までびっしりと書かれています。そして同時にある仮説が生まれます」

 桜子は翔一の思い浮かべる仮説を代弁する。

「岩城君は自分が殺されても仕方がないと思うほどの何かをしてしまった…」

「ええ。しかしそれがまだ事件と関係しているかどうかは分かりません。ところで、その手に持っている物は何でしょうか?」

 桜子は翔一にも同窓会の招待状を見せた。

「なるほど、この同窓会で岩城さんに何かあった可能性は高いですね。まずはこの西沢と言う男から当たってみましょう」

 珍しく率先する翔一に、桜子は何処か暗い表情で只々付いて行った。招待状に書いてある西沢の住所を見ながら階段を降りていると、翔一は管理人室の前で一旦停止した。

「どうしたの?」

「管理人さんに少し聞きたいことがありまして」

 呼び鈴を鳴らすと飄々とした老爺が扉の隙間から顔を覗かせた。

「ああ、先程の刑事さんですね。どうもご苦労様です。何かまだ御用ですか?」

「ええ。実は亡くなった岩城さんの事なんですが、彼は最近になったここに越して来たんじゃありませんか?」

「そうです、一週間程前に。よく御存知ですね」

 不可思議な目で部下を見つめていた桜子は、すぐに疑問を尋ねる。

「何でそんな事が分かったの?」

「彼の部屋の戸棚を調べて見たところ、菓子折りが幾つか積んでありましたのでそうではないかと。ところで管理人さん、岩城さんの前の住居先を御存知でしょうか?」

 年配の管理人は暫く唸りながら思い返していたが、岩城の前住所を把握しているのは直接に会社契約を結んだオーナーだけだと言う。

「では最後にもう一つだけ。彼がここに越して来た理由等は御存知ないですか?」

 この質問にも管理人は翔一の期待には応えられなかった。

「すいません、特に何も…」

「そうですか。御協力有り難うございます」

「あ、ちょっと待って下さい刑事さん」

 立ち去ろうとする翔一と桜子は呼び止められた。

「何でしょう?」

「先程の聴取で言いそびれたことがあるんです。実は私、昨晩に怪しい人が駐車場から立ち去る所を見たんです」

 互いに目を見張った二人で先に落ち着いて応答したのは桜子であった。

「それは何時頃でしたか?」

「二十一時前後だったと思います」

「顔は見えましたか?」

「暗かったのではっきりとは見えませんでしたが、女性だったと思います」

 新たな情報を手にして外に出た二人であったが、今は西沢の自宅に行き同窓会での出来事の聞き込みをするのが先決であった。

「何であんな質問をしたの?」

「あんなとは?」

 翔一は足を止めて桜子の方に振り向く。

「岩城君が引っ越して来た理由が事件と何か関係あるって言うの?」

 止めた足を再び進ませて翔一は桜子の質問に答える。

「引っ越してきて間もない人物が、ここで殺されたと言うのがいささか不審に思いまして。あくまで推測ですが、ここに越して来た理由が岩城さん殺害と何か関係があるのかもしれません」

「けど、通り魔の犯行の可能性だってあるのよね?」

「だからまだ推測の域なんです」

 翔一の私見を聞き終えた桜子は今までにない険しい表情を見せると、部下に諭すように言い聞かせた。

「けど、誰が犯人だろうと私はその人物を決して許さない。何が何でもこの事件を解決しないと、私は岩城君に顔向け出来ないわ」

 桜子の決意表明を聞いた翔一は普段の上司が戻ってきたことに笑みを浮かべて、西沢の自宅へと進む足が一段と速くなったのであった。

続く