「贖罪の過去」 第四章 被害者の悲しき過去...妻との永遠の別れを意味するものは?
「贖罪の過去」
第四章
「岩城君が気に病んでいた原因が、千夏さんをいじめていたことにあったのなら今回の事件の真相も自然に見えて来るけど…」
畠山千夏の自宅に暇を告げた翔一と桜子は、次に九宝絵李菜の住居へと向かっていた。しかし、岩城殺害の動機が小学校時代のいざこざから起きた可能性を拭い去れない桜子は、何処か浮かない顔をしていたのである。
「管理人さんが目撃した人ってやっぱり千夏さんじゃないのかしら? 殺害時刻のアリバイも彼女にはなかったし…」
桜子の暗い物言いとは裏腹に翔一ははっきりとした口調で意見を述べた。
「彼女が岩城さんを殺害したのかは分かりませんが、あの様子から察するに何かを隠している事は間違いないでしょう。ですから、それも突き止めなければなりません」
そう言って歩を進める翔一は既に九宝絵李菜の住宅を視界に捉えていた。丁度扉を開けて女性が中から出てきたところを確認すると、翔一は上司を置いて小走りで彼女の下へと向かった。
「九宝絵李菜さんですか?」
「そうですが?」
岩城が昨晩何者かに殺害された事を伝えると絵李菜は頬に一輪の涙を浮かべた。それから翔一と桜子を中へ招き入れてソファーに座らせると、自分の知っている岩城の事を伝えられるだけ二人に話し始めた。
「彼はとても良い人でした。彼との暮らしに私は何一つ不自由なく幸せな日々を過ごしていました」
「では何故、離婚をされたのでしょうか?」
絵李菜は少し渋るような様子で口を開いた。
「私は別れたくありませんでした。しかし、彼が急に目の前に離婚届を差し出して私は否応なしに押印したんです。彼は『すまない』とその一言だけ言い残して私の前から姿を消しました」
「理由は聞かなかったのですか?」
「勿論問い詰めました。けど、彼は頑として口を開きませんでした。そんな状態が何日も続いて、私は離婚せざるを得なかったんです」
「では、あなたに離婚を持ちかける前に彼に何かありませんでしたか?」
絵李菜は一年前の出来事を必死に思い返してようやく何かを思い出した。
「…確か、随分と落ち込んでいました。理由を聞いても何も教えてくれませんでしたが…。それから何日か経って離婚を迫られました」
「何か心当たりはありませんか?」
「さあ…けど仕事から帰って来た時にそのような状態でしたので、職場で何かあったのではないかと…」
ここで急に桜子が立ち上がりリビングのウォールポケットに視線が釘付けになった。
「どうしたんですか、桜子さん?」
桜子は翔一の問いには答えず絵李菜に質問をした。
「あそこの状差しにある手紙は御主人宛ての物ですよね?」
「ええ、それが何か?」
桜子はウォールポケットの前まで行くと、手紙を一つ抜き取った。その封筒には『九宝俊様』と書かれていたのである。
「ああ、戸籍は彼が私の実家の方に入れたんです。彼は自分の姓を捨てたいと言っていましたので…」
「どう言う意味です?」
「彼の母親は彼がまだ幼い頃に娘さんだけを連れて家を出て行ったんです。父親の酒癖が酷くて母親への暴力が絶えなかったからだと言っていました。二人きりで暮らす事になった彼も酷い仕打ちを受けていたそうです。それでも彼は耐え抜いて、検察官になり私と結婚して惨めな境遇から抜け出せた事を心から喜んでいました」
桜子は今まで忌憚なく呼んでいた友人の名字に俄かに抵抗を覚え始める。
「彼は『岩城』と言う名を恥じていたと…?」
二人の会話を聞いていた翔一が話に乗り出す。
「それでは何故、あなたとの離婚を迫ったのでしょうか?」
「分からない! 妻だった私があの人の気持ちを理解出来なかった事が情けなくて仕様がないわ…」
再び涙が零れ落ちた絵李菜を見て、居たたまれなくなった翔一と桜子は九宝家に別れを告げたのであった。
「一年程前に岩城さん、当時九宝さんが担当されていた事件ですか?」
翔一と桜子はそのまま検察庁に赴き、当時に岩城が扱っていた事件の詳細を職員に聞き込みをしていた。
「ええ、調べて頂けないでしょうか?」
職員の男の後に続き、翔一と桜子は捜査資料室へと足を踏み入れた。その職員は当時に起こった様々な事件の調書をめくってみたが、岩城が担当していた事件の中で該当するようなものは見当たらなかった。
「仕事は関係ないんじゃない?」
「ではそれよりも前に彼が担当していた事件はありますか?」
その職員の男は岩城が担当した事件記録のファイルを全て翔一の前に呈示した。
「この全ての記録の中から岩城君の気に病んでいた理由と結び付く事件なんてどうやって見分けるのよ?」
翔一は桜子の半ば投げ遣りの態度にお構いなしの様子でファイルに目を通していた。すると、間もない内に一つの事件に絞り始めて職員の男に問いかけたのである。
「この殺人事件で起訴された和泉香苗と言う女性はまだ刑務所に?」
一瞬、職員の男の目が泳いだ光景を翔一は見逃さなかった。
「いや…その女性は獄中で亡くなりました…」
「亡くなった?」
「心不全です。牢獄暮らしに耐えきれなかったのでしょうね…」
その視線の捉えていた先に翔一はいなかった。
続く