「贖罪の過去」 第六章 犯人なあなたです...事件の裏に隠れた涙の真相
「贖罪の過去」
第六章
翌日、翔一は一人で畠山家に再び訪れた。迎えてくれたのは今度は千夏であった。
「今日はどう言った御用でしょうか?」
「実は岩城さんを殺害した犯人が分かったのでそれをお伝えしに参りました」
千夏は一瞬動揺したような素振りを見せたが、それを悟られまいと翔一を中に入れた。
「犯人が誰なのかをお伝えする前に一つあなたに確認しておきたい事があります」
「何でしょうか…?」
リビングに着いたと同時に翔一は早速千夏を揺さ振る様な言葉を発した。
「あなたは岩城さんと同窓会で本当に会話をしなかったのですね?」
「はい…」
千夏の声が俄かに暗くなる。
「彼を見たのは小学生の時以来、間違いありませんね?」
「そうです…。何をおっしゃりたいんですか…?」
翔一は千夏の目を確と見つめ直し話を続ける。
「では、あなたは何故カウンター席に座っていたのが岩城さんだと分かったのでしょうか? 親しい間柄でもなかったのなら、この十年以上の歳月で顔も変わっていた筈ですし、彼だと見分けるのは容易ではないと思うのですが」
それを聞いた千夏は翔一に初めて険しい口調で反論した。
「そんなの雰囲気で分かっただけですよ! 顔は変わっていても彼の面影は昔と…」
千夏は我に返ったように急に口を噤んだ。
「昔…ですか?」
俯いた千夏を見て、翔一は一息を吐く。
「すいません、千夏さん。僕はもうあなたと岩城さんの関係を分かっているんです。どうか正直に話して頂けませんか?」
千夏はこの刑事からもう逃げられないと悟り、ソファーに腰かけ真実を語り始めた。
「刑事さんの察する通り、私は彼と同窓会の日に話をしました。お開きになった後、彼から私に話しかけて来たんです」
「あなたと岩城さんにとっては小学生以来の再会以上に、幼少の頃に両親が分かれて以来の再会だったんですね?」
千夏は小さく頷き話を続けた。
「まだ小さい頃に母が私を連れて、暴力の酷かった父の下を去ったんです。兄を残して…。それから私が兄に再会したのは小学六年生で彼と同じクラスになった時でした」
「そこであなたは彼を含む男子生徒にいじめを受けたんですね?」
「はい…。私が旧姓に戻った事と物心がつく前に親が離婚したせいか、彼は私が誰だか気付いていませんでした。しかし、私は彼を見た瞬間兄だと分かりました。その事を母に話したら、私に兄を置いて父の下から逃げて来たと言う事を教えてくれたんです…」
「岩城さん…お兄さんを恨みはしなかったと言う話は本当だったんですね」
「兄が当時にどれ程辛い思いをしていたか想像すれば、私に対するいじめなど何も感じませんでした…!」
千夏の声には力が籠っていたにも関わらず、同時に大きく震えていた。
「あなたは自分が妹だとは名乗らなかったのですか?」
千夏が翔一の尤もな質問に顔を向ける。
「勿論、言おうとは思いました。ですが、母にそれは固く禁じられたんです。当時に父と暮らしていた兄に自分が妹だと名乗れば、父に居場所を突き止められるかもしれないと母はこの上なく恐れていたからです…」
「しかし、卒業してから岩城さんは何らかの経緯であなたが妹だと知った」
千夏は話を同窓会時に戻す。
「兄が話しかけて来た時、私も正直に言うと怖かったんです。自分を捨てた身内に復讐心を抱いているんじゃないかって…。ですが、私を咎めるどころか、小さないじめをしたことに対して、開口一番に謝ってくれたんです。その時、涙を流さずにはいられませんでした…」
「それでどんな話を?」
「言葉が見つからず大した話はしませんでした。兄は自分が今住んでいるアパートの住所を私に教えてくれたくらいです…」
翔一はこの言葉を聞いて、今回の事件の流れを完全に理解した。
「その住所をお母さんにも教えたのではありませんか?」
千夏は再度口を噤んだが、おもむろに切り出した。
「はい…。翌日の夜中に母は兄に会いに行きました。会って一度謝りたいと言っていましたので…」
「しかし、その翌朝に岩城さんは遺体となって発見されました。お母さんは帰って来た時に、あなたに彼に会いに行っていた事は黙っていてくれとお願いしたのではありませんか?」
翔一のその台詞を聞き、千夏は必死になって訴える。
「でも、待って下さい! 母が兄を殺しただなんて私にはどうしても信じられないんです! きっと何かの間違いで…」
「お母さん、そこに居るなら出てきて頂けないでしょうか?」
千夏が振り向いた先に、リビングの扉を開けて千夏の母親が顔を覗かせた。
「話は全て聞いていましたね?」
「刑事さん、どうして私があの子の母親だと分かったんですか…?」
「それに気付いたのは僕ではなく、僕の上司です」
暫くすると桜子もリビングの扉を開けて入ってきた。横には年配のアパートの管理人もいる。
「管理人さん、あなたが見たと言うのはこの方でしょうか?」
「ええ、思い出しました。この女の人です」
千夏の母親は桜子の方に向き、先刻の疑問を改めて質問した。
「どうして私があの子の母親だと…?」
桜子は千夏に視線を向け千夏の母親の質問に答えてみせた。
「千夏さんと岩城君は二卵性の双子ですので、二人の顔は余り似ていません。しかし、あなたの顔は何処か岩城君の面影が残っていました。それが気になって、私はあなた方の事を調べてみたんです」
「あなたは俊と友達だったの…?」
「ええ、中学生の時からのね」
翔一は二人の会話に割って入り話を戻した。
「お母さん、あなたが岩城さんに会いに行った事を隠して置きたかったのは、千夏さんが先程おっしゃった理由と同じですね?」
千夏はきょとんとした表情になり、母親の話を黙って聞いていた。
「そうです…。もしかしたら警察が私の所にも来るかもしれない、それで本当の事を言えば私は容疑者になり新聞沙汰にもなり兼ねないと思いました。夫だったあの人にこちらの事情を伝える様な真似だけはどうしても避けたかったんです…」
翔一と桜子はこの母親が元伴侶にどれだけ酷い仕打ちを被っていたのか容易に想像が付いた。
「じゃあ、母は兄を殺してなんかいないんですか?」
質問には桜子が答えた。
「ええ、お母さんが着いた時にはもう既に彼は亡くなっていたのよ」
千夏は涙ぐみながらそのあどけない顔を母親に向ける。
「どうして本当の事を言ってくれなかったの? てっきり私は…」
千夏の母親は娘の涙目に顔を背ける。
「ごめんなさい千夏…。忌まわしい父親の事をあなたに無理に蒸し返したくはなかったの…」
そう言うと、娘を抱きしめながら親子共々すすり泣いた。
「でも待って…。それじゃあ、兄は一体誰に…?」
すすり泣きを止めた千夏は翔一に事件の真意を尋ねる。
「岩城さんを殺害したのは、あなたですね?」
その視線が向けられた先は管理人であった。
「急に何を言うのですか!」
千夏達は目を見開き管理人の方に振り向く。
「あなたは千夏さんのお母さんが偶然、殺害現場に訪れたのを良い事に容疑を彼女に向けさせるため僕達に目撃情報を教えたんです」
管理人は翔一に猛反発し、自分が無実だと徹底的に訴える。
「その方が間違いなく殺したに決まっている! 逃げるように駐車場から去って行くところを私はしっかりと見たんだ!」
翔一は冷静に対抗してみせる。
「死んだ人を見れば誰だってそのような動きをします。岩城さんの背中に残っていた刺し跡は左利きによる者の犯行でした。管理人さん、あなたと同じね」
顔を強張らせた管理人は千夏の母親を指した腕をさっと下げた。
「そんな理由だけで犯人呼ばわりですか? 私は事件解決のために協力して欲しいと、こちらの刑事さんに頼まれて来たと言うのにこんな扱いは酷すぎますよ!」
管理人がリビングの扉を開けて出て行こうとした矢先、翔一がその背中にはっきりと言い放つ。
「既に現場近くの川から凶器と思われるナイフが発見されています。わずかでしたが指紋も残っていたので、白を切り通すのは時間の問題ですよ」
管理人が足を止めた様子を見ると、すかさず翔一は事件の裏に隠れた真相を改めて確認する。
「岩城さんを殺害した動機はやはり娘さんの復讐ですね?」
間もなく小さく頷いた管理人を黙視すると、翔一は話を続ける。
「彼はあなたが奥さんと別れた後、謝罪に来たんです。謝ろうにも奥さんでさえ連絡先が分からなかったあなたには、その言葉を伝える事が出来なかったんです」
ここで管理人は鬼のような形相で顔を上げ、翔一に吐き捨てるように怒号をあげた。
「謝れば全てが許されると思っているのか! あいつのいい加減な根拠もない言い分で、娘の香苗は犯罪者扱いをされ死んだんだぞ!」
破竹の勢いで胸の内を打ち明けた管理人に千夏達は怯えていたが、翔一は負けじとあくまで立ち向う姿勢を崩さなかった。
「あなたは良枝さんと別れた後に自分で娘さんが無実だったと言う事を証明しようとしたんですね?」
「そうだ! 香苗が死んで一年程経った時に私は検察庁に行ってみた! 娘は無実だったと職員に訴えたら、急に顔色が変わった! 根強く問い質したら口を割って、つい最近に真犯人が自首しに来たと聞かされたんだ!」
翔一と桜子はその事実が検察庁内の一部の人間の間で交わされた暗黙の了解であったと改めて確信した。
「犯人は許せなかったが、あの検事も殺してやりたい程に許せなかった! だが、あいつの居場所も分からなかったしその熱も次第に冷めていった。私は管理職に就いて落ち着きを取り戻していったんだ…あの男がまた現れるまでは!」
管理人の声はますますヒートアップしていった。
「香苗が死んで二年…たったの二年だ! あいつが引越しの挨拶に来た時、事も有ろうに私に全く気付いていない様子だった! もう娘の事も綺麗に忘れたに違いない、そう思った私は再び殺害しようと決心したんだ!」
翔一と桜子は沈黙を続けていた。
「あいつが心から悔やんでいたのなら、私の顔を忘れる訳なんてない! 良枝に謝りに来たことだって、どうせ体裁を繕うためだけにやった事だったんだ!」
「違うわ!」
管理人の言葉を遮ったのは桜子の一言であった。
「岩城君はあなたの事を忘れてなんかいなかった! 彼は本当にあなたに心からお詫びをしたかったのよ!」
桜子は懐から岩城の部屋から発見された冊子を取り出し、管理人に突きつけた。だが、頁をめくりそれに目を通した管理人にはさらに火を付けたのである。
「こんなものが何だと言うんだ! それなら何故すぐに頭を下げに来なかったんだ!」
その問いには、翔一が上司の一歩前に出て代わりに答えた。
「それはあなたに殺されるためですよ」
管理人だけではなく、千夏達も耳を疑った。
「どう言う意味だ…? 殺されるためだと?」
「ええ。岩城さんがあなたと再会したのは偶然なんかではありません。あなたが管理人を務めている事を知っていて尚、あのアパートの部屋を借りたんです。アパートのオーナーに伺ったところ、岩城さんはあなたがそこの管理人を務めているかどうか何度も確認していたとおっしゃっていました」
管理人はまだ翔一の言葉を信じることが出来なかった。
「う…嘘を吐くな! そうだとしても、私が殺そうとしていた事をあいつが知っていたわけ…」
「確かにそうです。しかし、岩城さんは再会した時にあなたと同じく自分の事を覚えていると確信していたのではないでしょうか? 自分に殺意を抱いているかどうかまでは分からなくとも、岩城さんはいつでも死を受け入れる覚悟でいた。あなたが実行しやすいよう環境も常に、暗に整えていたのではないでしょうか?」
管理人は何かを思案しているかのように再び俯いた。
「思い当たる節はありそうですね。彼は日を追うごとに、次第にあなたに対する謝罪の気持ちではなく、贖罪の念に変わっていったんです。自分の失態で香苗さんを亡くした事に対してあなたと同様に苦しんだ。奥さんの所へ一人で真実を伝えに足を運んだことも、冊子に罪の意識の言葉を無数に書き記したことも全て、彼の償い切れない程の気持ちの表れだったんです」
管理人は膝を突き子供のように泣きじゃくった。その様子を見ていた千夏も母親の懐ですすり泣くことしか出来なかった。
続く