「裏切り」 第一章 奪われた母の命…平穏な家庭を壊した「モノ」とは?
「裏切り」*1
第一章
都内に所在している割には似つかわしくない、何処か殺風景な趣を隠せない古風な民家があった。その家には現在、片倉昌代と言う女性とその娘二人、息子一人と家族四人で慎ましく暮らしていた。
この一家の評判は近隣住民の間でも有名であり、特に長女である梢の人柄の良さは際立っていた。年齢は二十九と、既に所帯を持っていたとしても不思議ではないのだが、体が余り丈夫でない母親の昌代の代わりに片倉家の生計をほぼ一人で立てていたのである。長男の慎太郎は高校を卒業してからというものの専ら就職活動中であり、社会に進出して姉の梢や母親を少しでも楽にさせる事を旨としていた。次女の詩織は短大生であり、アルバイトをしながら姉のやりくりを微力ながら支えていた。昌代も子供達にばかり迷惑をかけるのは忍びないと思い、収入は少ないが内職をいつしか始めていた。家族全員が苦労はしていたものの、仲睦まじく暮らしていた四人は周りの人間から羨まれるほどであった。
しかしながら、そんな片倉家の平穏はある出来事を介して一変した。自宅で母親の昌代の遺体が発見されたのである。警察が駆け付けた時、第一発見者の長女である梢は魂が抜け落ちたような状態で事切れた母親を見つめていた。その横では詩織が唇を噛みしめていた慎太郎の肩で、幼児のように叫びそして泣いていた。
現場の状況を見渡していた警視庁警部の沢渡桜子は、辺りの物が無造作に遺体の上にまで散らばっていた事と部屋に泥まみれの足跡がある事から物取りの線が高いと踏み、盗まれた物がないかをまだ半落ち状態である梢に尋ねていた。その間に彼女の部下である津上翔一は、好き勝手に部屋を観て回っていたのである。
「どうしてこんなにも泥だらけの足跡が残っているのでしょうか?」
一通り観察を終えた翔一がまだ梢と話している桜子に不躾に問いかけて来た。
「彼女の死亡推定時刻の一五時から一六時に、少しの間だけど激しい夕立があったそうよ。ほら、裏庭にもくっきりと足跡が残っていたわよ」
裏庭に回った翔一は正門から縁側まで綺麗に残った往復している足跡を見た。大きさからして男性の靴跡だと思われた。
「縁側から犯人は侵入して、昌代さんのいる部屋へ向かい帰りもここから出て行ったということか…」
「何か腑に落ちない点でも?」
急に後ろに現れた上司にも微動だにせず、「いえ、別に…」とだけ神妙な顔をして答える部下に桜子は鼻息をついた。
「犯人はここから侵入して、物色している最中に被害者に顔を見られて殺害し、またここから逃げたって所かしらね」
桜子は窓の鍵周囲のガラスだけ割られている現場をまじまじと見ながら、部下と同じような発言を得意気にしていた。
「ところで盗まれた物や凶器は何だったんですか?」
翔一がしたり顔の桜子に尋ねる。
「梢さんによると、いくらかの現金と通帳や印鑑を持って行かれたそうよ。凶器はまだ見つかっていないけど、首を絞められた跡がくっきり残っていたからおそらく絞殺による窒息が死因ね。となると、凶器は索状痕の大きさからして幅が三、四㎝程度のヒモ状の物だと思うわ」
翔一がまたも難しい顔つきになる。
「どうしたの?」
「やはり、少しおかしいと思います」
それを聞いた桜子の顔も険しくなる。
「一体何が?」
「凶器が見つかっていないと言うのなら、それは犯人が持ち去ったという可能性が高い。しかし、見ず知らずの者による衝動的な殺人でそれをするメリットがあるでしょうか?」
「自分の痕跡が残るようなものを凶器にしたんじゃないの?」
「では、首を絞めた後でその凶器を回収し犯人はどうしたと思いますか?」
「当然、急いで逃げたでしょうね」
「いいえ、犯人は被害者を殺した後で金品を盗んでいます」
「何でそんなことが分かるの? 物色した後で殺したかもしれないじゃない」
自分に意見する部下の反抗的なこの態度は桜子に火を点けていた。
「それなら遺体の上に物が散らばっていた説明が付きません。殺人を犯した者はすぐに現場を立ち去りたいと思うのが普通です。ですが、この犯人は凶器をわざわざ回収してその後で部屋を荒らしながら通帳やら印鑑を盗んでいます」
若干圧倒されつつも、桜子は負けじと退きたくはなかった。
「よほど冷静で手だれた強盗だったのかもしれないわね…」
「それにしては、物色の仕方が下手くそで物が散乱しすぎです。あれは素人による犯行の可能性が高いと思います」
桜子はこの生意気な部下の意図が今一つ分からなかった。
「あんたは一体何が言いたいわけなのよ?」
「これはただの強盗殺人ではない可能性があると言うことです」
続く